坪田譲治は、1890年(明治23年)3月3日、岡山県御野郡石井村島田(現在は岡山市北区島田本町)に生まれた、小説家・児童文学作家である。
小川未明や浜田廣介と共に日本児童文学の三大作家の一人として、子どものありのままの姿や心を描き、子どもの世界と大人の世界を見事に交流させた独自の世界を創造し、近代児童文学で活躍した。小説・童話・昔話・随筆・評論などいろいろなジャンルの四千八百点余りの作品を創作した。
岡山市名誉市民であり、坪田譲治文学賞が制定されている。ふるさと岡山を愛し、故郷を舞台にした数多くの名作を生んだ。多くの作品に登場する正太や善太・三平の兄弟が、ふるさと岡山を思わせる田園風景の中で活躍する姿を生き生きと描いた。
略 歴
1890年(明治23年) | 誕生 | 岡山県御津郡石井村島田(現 岡山市北区島田本町)に生まれる(3月3日) |
1896年(明治29年) | 7歳 | 石井尋常小学校(現 岡山市立石井小学校)入学 |
1897年(明治30年) | 8歳 | 父 平太郎が病死(島田製織所経営) 母 幸が5人兄弟を養育 |
1907年(明治40年) | 17歳 | 金川中学校(現 岡山県立岡山御津高等学校)卒業 |
1908年(明治41年) | 18歳 | 早稲田大学文化予科入学 |
1915年(大正4年) | 25歳 | 早稲田大学英文科卒業 |
1916年(大正5年) | 26歳 | 前田浪子と結婚、長男「正男」誕生 |
1919年(大正8年) | 29歳 | 岡山に帰り、兄の経営する島田製織所に就職 |
1920年(大正9年) | 30歳 | 島田製織所大阪支店に移る。次男「善男」誕生 |
1923年(大正12年) | 33歳 | 文学に専念しようと東京へ。三男「理基男」誕生 |
1929年(昭和4年) | 39歳 | 妻や子を東京に残し、単身で再び岡山に戻り島田製織所に就職 |
1930年(昭和5年) | 40歳 | 兄 醇一と母が相次いで亡くなる |
1933年(昭和8年) | 43歳 | 意を決して上京し文学に専念 |
1935年(昭和10年) | 45歳 | 「お化けの世界」等を発表し、文壇に認められる |
1936年(昭和11年) | 46歳 | 「風の中の子供」を連載し、好評を得る |
1938年(昭和13年) | 48歳 | 「子供の四季」を連載し、最高傑作と評価される |
1943年(昭和18年) | 53歳 | 海軍報道班員として東南アジアへ、翌年三月帰国 |
1945年(昭和20年) | 55歳 | 信州野尻湖畔へ疎開。八月太平洋戦争終わる |
1955年(昭和30年) | 65歳 | 日本芸術院賞 受賞 |
1956年(昭和31年) | 66歳 | 日本児童文学者協会 会長 |
1961年(昭和36年) | 71歳 | 「びわのみ文庫」を開設し、地域の子供たちへ開放する |
1963年(昭和38年) | 73歳 | 「びわの実学校」を創刊し、後進の育成を図る。 (松谷みよ子、前川康男、今西祐行、あまんきみこ、大石真、寺村輝夫 等) |
1964年(昭和39年) | 74歳 | 日本芸術院会員に推される |
1979年(昭和54年) | 89歳 | 「岡山市名誉市民」の称号を授与される |
1982年(昭和57年) | 92歳 | 永眠(7月7日) |